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2010年3月16日

ノダル・クマリタシビリ

2010年のバンクーバーオリンピックのオリンピック代表に選ばれたがオリンピック開幕目前の2月12日の練習中、最終16コーナ

ー出口付近でコース外に放り出されて鉄柱に激突し亡くなった。冬季オリンピックの練習で亡くなったのは1964年のインスブ

ルックオリンピックで亡くなったイギリス人リュージュ選手、Kazimierz Kay-Skrzypeski、オーストラリア人スキー選手のロ

ス・ミルン、1992年のアルベールビルオリンピックで亡くなったスイス人スピードスキー選手のNicolas Bochatayに次いで史

上4人目の悲劇。

2010年のバンクーバーオリンピックで自身初のオリンピック出場権を獲得したが2010年2月12日、最終コーナーでそりのコント

ロールを失い、コースから放り出されて鉄柱に激突した。事故の瞬間彼のそりはおよそ143.3kmほどのスピードが出ていた。

事故後ただちに応急措置が行われ、心肺蘇生法も1分以内に行われた。ヘリコプターでウィスラーの病院に運ばれたがそこで彼

の死が発表された。

この事故を受けてグルジア選手団は開会式の欠場や大会自体の参加をとりやめるか検討したがグルジアのスポーツ文化大臣の

ニカ・ルルアはチームがオリンピックに留まることを発表した。開会式では、残された7人の選手たちは腕に喪章をつけて行進

入場行進が終わるとBCプレイス・スタジアムを後にした。彼らは観客からスタンディング・オベーションで迎えられ、1分間

の黙祷が行われた。また、オリンピック旗掲揚後、カナダ国旗とともに半旗とするなどの措置もとられた。

国際リュージュ連盟は事故原因を調査したがコースの安全性には問題がないと判断し、予定通り13日から競技を開始すること

を決定した。

IOCのジャック・ロゲ会長は記者会見でリュージュ競技の延期や中止の可能性については明言しなかった。

その後彼の死はコースの設計ミスではないと結論づけられたが最終コーナーの壁を高くして氷の表面を変更することが発表さ

れた。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

オリンピック直前に亡くなった選手です。競技が見れなくて大変残念です。